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北海道 釧路の地酒 『福司』 若僧蔵人の醸し屋日記

北海道(特に道東)の美味しいや楽しいを日本酒を通じて紹介します。

釧路の酒業史

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気が付けば100周年まで残り50日を切っておりました!!!
福司の創業は1919年4月10日。
今年の4月10日で100年となります。
そして今のところ、この日が甑倒しということで
何か考え深いものがありますね。



歴史を振り返るいい機会でもあると思います。
醸し屋が持っている資料の中にも福司の創業時代の話をまとめたものや
歴史をまとめたものがあります。
改めて読み返すとなかなか驚かされるものがあります。


釧路の酒業史として先代がまとめた資料に書かれているのは
北海道酒業史(道立図書館)によると1789-1801年ころの物価票に
釧路の名と共に酒の名が登場する最も古い資料と記されています。


当時の物価は今とは全く異なっているのにもびっくりさせられます。
米が八升で一俵
酒が四升で一樽だったようです。
今では米が1俵60kgで、一樽が大体18L(十升)ですから
当時と単位が異なっていたんですね。



更にこの2つは同じ価値として取引されています。
米は酒の倍の価格だったと言えるのでしょう。
更にこれと同等の価値とされているのが
鰊だと1200匹、鮭だと500匹。
お米も酒もそれだけ貴重なものだったと言えるのか・・・・



明治26年には釧路近郊に11件の酒造場があったようです。
釧路には7蔵、厚岸に2蔵、霧多布に1蔵、浜中に1蔵。

霧多布と浜中に1蔵ずつ蔵があったなんて!!!
そのことを知っている方ってどのくらいるのでしょうね。
そこから4年後の明治30年に根室税務管理局管下釧路税務署が創立。
その当時の釧路管内の酒造業者は26軒とくしろの歴史上最も多い数です!!!


それだけあったなら、さぞ沢山の日本酒が流通していただろうと思いきや
なんと、その量は26蔵ある割には少ない。
福司が全盛期の頃、1蔵で造っていたであろう量とほぼ一緒くらい。
そう考えるととっても小さな醸造場が沢山あったのかもしれません。
今でいうクラフトビールの醸造所のような規模の日本酒製造業所のようなイメージですかね?

当時のくしろ地域の日本酒はどういうものだったのでしょうか?
想像もつきませんが、その歴史があったから今の釧路があるのでしょう。
優れた文化はすぐれた酒を持つといいます。
釧路市にだけ酒造場が残ったのも、ここに良い文化があったからかもしれません。




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085-0831
北海道釧路市住吉2-13-23
福司酒造株式会社



最後まで読んでいただきありがとうございます!

書き残しておくことはとても大事。
こうやって文章で残っているからこそ
歴史がわかるんだとつくづく感じます。

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